ESSAY




[立原道造に関する散文]
(2017/09/19)宏と道造 ―「追分の山荘」の建つ敷地とその謎
(2017/09/15)80年前の透視図が描くこれからの建築



[大江宏に関する散文]
(2019/08/14)ドレッシングと近代建築 ー大江宏の混在併存
(2019/06/10)エスプラナードと「建築の本質」
(2019/03/19)大江宏の建築観と父・新太郎の若き日の論考
(2018/05/29)「住宅・エツセイ」と「建築の本質」 ―『建築作法』「建築の本質」読考
(2018/05/08)直交のなかの彎曲―ル・コルビュジエの平面、大江宏の立面
(2018/03/19)香川県のアンテナ建築 ―東京讃岐会館を訪れて
(2017/12/26)工業化部材の気配 ―千代田火災の建物について
(2017/12/14)縦の意匠・館の移床 ―茨城県公館を訪れて
(2017/11/16)正方形好み ―内田祥哉対談「能の構成・建築の構成」読考
(2017/11/02)成蹊閥の建築学徒たち ―宮内嘉久対談「ある青春―建築的風景一九三〇年代」読考
(2017/10/12)足元を見つめる季節 ―村松貞次郎対談「血脈をつくることの葛藤」読考
(2017/09/12)モノ派の熟練志向 ―池辺・浦辺・大江・吉阪・桐敷座談「日本建築の将来」読考
(2017/08/24)地域学の提唱 ―山本忠司対談「瀬戸内という坩堝の中で」読考
(2017/08/08)第三の軸 ―太田・大江・神代鼎談「いま、建築家は何を生かすべきか」読考
(2017/07/25)設計・論考・教育の三位一体 「日本建築学会大賞」読考
(2017/07/11)「石柱の歌」への想い ―小谷部育子対談「建築に中心はあるか」読考
(2017/06/06)問わず語りの建築の本源 『建築と気配』「ものづくりの初心」読考
(2017/05/16)言葉と建築 『建築と気配』「気配の美学」読考
(2017/05/01)けじめと独創 『建築と気配』「伝統様式を再構築する姿勢と手法」読考
(2017/04/10)リファインとラショナル 『建築と気配』「キッチュの海とデザインの方法」読考
(2017/03/28)「風声」へのまなざし 『建築と気配』「近代数寄屋―鍵は1930年代にある」読考
(2017/02/28)重畳する表題 ―『建築と気配』「併存混合としての日本建築と現代建築」読考
(2017/02/14)建築を言葉にする ―『建築と気配』「建築と意匠」読考
(2017/01/30)点の建築、訓読みの建築 ―『建築と気配』「日本の現代建築と木」読考
(2017/01/11)建築の申楽性 ―『建築と気配』「能・建築・文化」読考
(2016/11/24)サーリネンと大江宏 ―『建築作法』「佇まいの建築―宇佐神宮」読考
(2016/11/10)「混在併存」の間積もり ―『建築作法』「手法としての「間」」読考
(2016/09/26)伝統への目覚め ―『建築作法』「社殿の設計とその背景―乃木神社」読考
(2016/08/30)今日新たに国立能楽堂を造ることの意義 ―『建築作法』「能舞台と能楽堂1」読考
(2016/08/09)きき石を打ち込む ―『建築作法』「propotionについて」読考
(2016/04/13)方形屋根と丸柱 ―苦楽園の家を訪れて
(2016/03/31)松尾神社と伊勢神宮 『建築作法』「天神社と地祇社」読考
(2016/03/17)丸亀を想いながら ―『建築作法』「ものつくりの正体」読考
(2016/03/03)逸品と珍品  『建築作法』「様式と装飾」「内と外」「ディテールの美的表現」読考
(2016/02/18)現代建築における悲劇 ―『建築作法』「演者と見者」、「能・建築・文化」読考
(2016/02/02)建築者は演者か見者か ―『建築作法』「能における神性と離見」読考
(2016/01/14)像を覆うということ  『建築作法』「ウォーナー博士像の覆堂について」読考




その他の散文]

映画雑感

(2018/07/03)ジェイン・ジェイコブズ:ニューヨーク都市計画革命マット・ティルナー/米/2018)
(2018/03/05)ダウンサイズアレクサンダー・ペイン/米/2017)
(2017/06/12)メッセージ(ドゥニ・ヴィルヌーヴ/米/2016)

建築訪記
(2023/12/13)「入善町民会館」を見る
(2019/09/17)「農林水産省三番町共用会議所」の魅力
(2018/04/06)谷口の普請と村野の腐心 ―迎賓館赤坂離宮・和風別館を訪れて
(2010/06/11)階段と街頭と人間と恋 ―国内建築行脚なぞなぞ

徒然駄文