香川県のアンテナ建築 ―東京讃岐会館を訪れて

2018/03/19 種田元晴


 曇天の麻布十番へ、取り壊しの危機に瀕する「東京讃岐会館」(1972/大江宏)を見学してまいりました。

 香川県と大江宏(1913-1989)との関係は、1960年の「香川県立丸亀高等学校」を皮切りに、以降、「香川県文化会館」(1965)、「香川県住宅供給公社志度団地」(1968)などと続いてゆきます。
 これらはすべて、建築に造詣の深い、ときの県知事・金子正則(1907-1996)からの厚い信頼のもとに手掛けられたものでした。

 金子知事は、1950年から6期24年の長きにわたって知事を務めた人物でした。
 その間、知事は香川県の建築文化の向上につとめ、1967年には「香川県の建築及び都市開発のデザイン・ポリシー」により第8回毎日芸術賞特別賞を受賞されています。

 もちろん、丹下健三(1913-2005)の香川県庁舎(1958)を実現させたのも、金子知事その人でした。

 金子知事のもとには、県職員から学会賞を受賞するにいたる建築家・山本忠司(1923-1998)などのすぐれた人材が集い、これを支えたのでした。

 金子氏が知事でいるあいだには、讃岐会館の以降も、「香川県立丸亀武道館」(1973)、「香川県観音寺市住宅地区改良計画」(1973)など、大江に仕事が依頼され続けました。

 さて、讃岐会館は、かつては県営の香川県民向け宿泊施設でした。

 現在は「東京さぬき倶楽部」と名称を変えて、ひろく県外・国外のお客さまを迎えられておられます。

 職員の方も、もはやすでに香川県の方とは限らないのだそうです。

 都心でリーズナブルに泊まれる公共の宿として、紀行作家の稲葉なおとさんも、ご著書や雑誌やテレビなどでたびたび紹介されておられます。

 私も以前、友人らとここで合宿をして、お値段以上の宿泊体験を味わいました。

 建築として、そして宿としての魅力は、稲葉さんの以下の記事を読んでいただくのが一番いいです。

  「都心に隠れた公共の名建築 東京さぬき倶楽部/稲葉なおと」毎日新聞2015年8月6日

 しかしながら、まことに残念なことに、「老朽化が進み、耐震性にも課題がある」として2019年度末をもって営業を終了するとのことです。

  (同じく)毎日新聞2016年12月7日

 たしかに、設備は傷んできてはおりますが、建築の魅力はまだまだ健在、そこここに大江宏らしいデザインのエッセンスが詰まっています。

 例えば、エントランスにさがる立方体のシャンデリア。
 大江は、正方形をとにかく好んで使います。

 そのシャンデリアを囲む階段をあがると、2階から3階へと上がる途中に、3階よりも3段だけ低いメザニンがあります。
 これは、後の「茨城県公館」(1974)などでも見られた空間構成でした。

 また、庭園に面したロビーの吹き抜け上部にも、二階部分が廻廊状に囲んでいます。
 これは、「法政大学55/58年館」(1955-58)の学生ホールの構成に通ずるものがあります。
 レンガタイルや陶板タイルなど壁面によって仕上げを変え、その間に打ち放しの柱がそっと降りる構成も、「法政大学55/58年館」の学生ホールを彷彿とさせる姿です。

 陶板のタイルは、讃岐会館の前年に手掛けられた「殖産住宅東京支店」(現存せず)の外装でも用いられていました。
 讃岐会館のロビーに光を拡散させ、きらびやかな天井を演出するアルミルーバーも、「殖産住宅東京支店」のそれとおんなじです。

 吹き抜け空間に面する上階の床は、角のまるい正方形ワッフルスラブとなっています。
 この形状のワッフルスラブも、大江が「香川県立丸亀武道館」などでたびたび用いた手法でした。

 日本庭園と異国趣味的な建築との混在併存は、後に「苦楽園の家」(1976)で大成されることとなります。

 とにかく、讃岐会館には、1965年の地中海・中東旅行を経て培った、大江らしい和と洋と伝統と近代の絶妙な混在併存の空間構成手法が、余すことなく試された珠玉の一作であったと思います。

 なお、ロビーに置かれた低座位の椅子は、ジョージ・ナカシマのコノイドチェアです。
 彼は「讃岐民具連」の工芸職人らと交流が深かったようで、のちに自身もこの一員として稼働したと、桜製作所のホームページには書いてありました。
 讃岐会館に彼の家具がつかわれたのは、その縁によるものと思われます。

 この椅子について、文中にリンクした稲葉なおとさんの記事によれば、「本場アメリカでも目にできるのは展示品のみで、実際に使用できるのは東京でもここだけ」とのことです。

 コノイドチェアの制作年は、様々なサイトで1982年と紹介されています。
 しかし、1972年竣工の讃岐会館の竣工写真にも、しっかりこれがこのままに写ってます。
 もしかしたら、讃岐会館のためにパイロット的に作られて、のちに量産されたのかもしれません。

 座り心地は大変優雅です。フロントに頼めば、ここでコーヒーをたしなむこともできます。
 ある建築家は、仕事のあいまの息抜きに、ここへたばこを吸いに来た、とも言っていました。
 そんな貴重な体験ができる、貴重な建築なのです、讃岐会館は。

 壊されるのは実に惜しい。

 壊される前に、皆さん、是非訪れておきましょう。


麻布十番駅方面から望む全景

先広がりな細角列柱が印象的なバルコニーと、連続シェル屋根が荘厳な玄関。
車寄せのボールト屋根はのちに増築されたもの。

エントランスへと下がる立方体シャンデリアと床を構成する角丸正方形のワッフルスラブ

法政大学55/58年館の学生ホールを思わせるロビーに置かれたジョージ・ナカシマのコノイドチェア

のちの「茨城県公館」でもみられたメザニンの応接スペース

メザニン部分に穿たれたアラベスク調の窓


コンクリートのかたまりのような建築に豊かな表情を与えているバルコニーの手摺りと柱。
その奥にそびえ立つ巨大なモノリスとの対比。