「日本の現代建築と木」(『SD』1974年1月号、神代雄一郎との対談)
(大江宏『建築と気配』収録論稿)読考
2017/01/30 種田元晴
大江宏は、最初の代表作である一連の法政大学校舎で、自らの内に宿し続けた、CIAM由来の近代主義建築の日本での実現を果たした。
53年館、55年館、58年館と段階的に鉄とコンクリートによる矩形の箱が実体化されてゆくにつれて、大江の近代主義建築への憧れは、徐々に疑念へと変わっていくのだった。建築を一本化された同質の体系に統合しようとする教義への疑念は、ちょうど法政大学が完成する頃にタイミングよく舞い込んだ梅若能楽学院の仕事に着手することで、具体的な抗いの痕を露わにする。やがて、この抗いを自らの教義に掲げて建築をつくってゆくのだった。
大江は、建築は異質で複数体系によるものであると考えた。コンクリートと木にその概念上の同質性を見出すのではなく、異質であることをそれぞれ認めたうえで、これらを統一することが、建築の在るべき姿であると考えている。大江は「性」という言葉を用いてこれを説明している。
コンクリートの性と木の性。コンクリートのそれは、大江曰く「物理的性格なんていう言葉を使う方が適当」なものであるという。こちらの「性」は、性能や品質を示す「しょう」と読むのが適当だろう。
対する木のそれは、そもそも「さが」と読ませるものであるという。「さが」とは、生まれつきの性質のことであり、習わしであり、それぞれに異なる良し悪しを持つ状態を指した言葉である。
コンクリートは、細かな成分を混ぜて型に入れて成形する。もともとの形を持たず(流動的で)、均質な(性能が制御可能な)、面的な材料である。木は、人が成分を調合してつくった材料ではない。土壌や気候や日当たりなど、無数の複雑な自然条件のもとに、個性を持って成形されたものである(人為が多少は加わっていたとしても、その人為は自然な成形を補う程度のものにすぎない)。木は、建築材料として用いられる時点ではすでに成形されている、不均質で線的な材料である。
話題は、「間」の話へと移ってゆく。
大江は、「建築で〈間〉という概念が出てきたのは、木を使っていたからだと思う」と述べる。
日本古来の木を使った建築は、柱と梁で支えられる。四隅を木の柱で囲まれると、そこには「間」が現われる。一方、西洋由来のコンクリートによる壁式建築は、面によって物理的に部屋が囲われる。
木材の柱は、細い。自然がどこかで成形した元の木の大きさに限度があるのだから、太くすることは容易でない。一方、コンクリートによる柱は、太い。その場で、人が、自らの欲しいだけの大きさを自由につくることができる。
細い木の柱は、点として平面に打たれる。太さを持ったコンクリートの柱は、面として平面に塗られる。「間」は、木によって成り立つと大江は言う。それは、言い換えれば、「間」は、面によっては出来上がらないのだということである。
だからといって、大江はコンクリート避けることはしない。建築である限り、機能は満たさねばならない。丸亀武道館では、大空間を設えるために、コンクリートの柱を必要とした。コンクリートの「性(しょう)」を生かして、長スパンの無柱空間を積層させることに成功した。
一方、この空間を「間」とするには、この「性(さが)」を生かさねばならない。大江は、単にこれを木の仕上げを施すことによってのみ実現させようとはしない。柱の存在を、極力、木に近づけるべく、平面的に面でなくす努力をみせる。本実型枠による表情も相まって、コンクリートの柱による「間」を形成が試みられている。