モノ派の熟練志向:オーソドキシー

池辺陽・浦辺鎮太郎・大江宏・吉阪隆正・桐敷真次郎
「日本建築の将来 座談会2(1000号記念)」(『建築雑誌』1968年8月号)読考

2017/09/12  種田元晴


 池辺陽(1920-1979)、浦辺鎮太郎(1909-1991)、大江宏(1913-1989)、吉阪隆正(1917-1980)、桐敷真次郎(1926-)による座談会記事。建築雑誌の通算1000号を記念して行われたものである。当該号には、これを含めて世代別に4つの座談会が収録された(末尾リスト参照)。

 この座談会はそのうちの第2世代によるものである。大江ら第2世代の座談会は、桐敷の司会により、建築家が日本建築のデザインの過去、現在、将来について後世の人に語りかけることを目的に催された。しかし、ベテラン実務者4人の共通理解のもとに話が進められすぎていて、後世の者にはやや難解な側面がある。

 冒頭に池辺、浦辺、吉阪が繰り広げる、作品本位ではなく作家本位である日本のものづくり界の話、根がなく花を咲かせる近代建築群の話、封建性が日本を常に支配しているとの話、日本には合理主義(はあっても機能主義がないとの話には、静観を貫く。池辺がハンネス・マイヤー(共産主義者)の「人間というものは炭素と酸素の合成物である」との話を引いて、ものすごく徹底した見方だと称えたことにすら、取り急ぎ大江は無反応であった(この点は、水素と酸素で水ができているのではない、と後年に述べた大江の主張と対比的である)。議論の内容は、1968年という時代から、当時の知識人の関心毎が共産主義、社会主義に向けられていたことが良く表れている。そして、その先鋒に池辺がいたこともよく表れている。しかし、大江はこれにはさほど関心を示していない。

 大江が口火を切ったのは、彼らが近世以前を振り返ることなく近代以降の日本について議論をしていることへの疑義からであった。しかし、ヒトでなくモノを重視する関西の信頼性に池辺が言及すると、これに大江が大賛成といって、池辺を饒舌にさせる。そして、モノ派とヒト派の議論は、大江によって、オーソドキシー(即物的熟練性?)とソフィスティケイテッド(抽象的先鋭性?)の話に昇華される。両方備えるべきが建築家、と言いつつも、しかし大江はオーソドキシーの方にこそ建築家の本質を見出している(ソフィスティケイテッドのみ抜群な吉田五十八のことはやはり評価しない)。

 浦辺が口火を切った木の話も興味深い。木は本来高貴な材料であって、決して安いから使われるものではない、木本来の高貴な使われ方を見直すべき、との主張である。1967年、「コンクリート型枠用合板(通称コンパネ)」の日本農林規格(JAS)が公布された。この座談会の1年前のことであった。これ以降、杉板の本実型枠に代わり合板型枠によるRC造が普及する。均質化、量産化、使い捨てが確立されつつあった。この座談会はそのような時代に行われたのだった。

 やがて話題は大阪万博へ。予算が膨らんでしまう問題など、同じく2年後に催事を控えた今、過去の出来事とは思えない話題である。建築と自動車の作られ方の比較も興味深い。

 インダストリアルデザインの領域が、一品生産の建築に倣い始め、一方、建築は量産を旨とするインダストリアルデザインに憧れる。ひとつのものを永続的に使い続けられるよう機能主義的にこしらえられるべきが本来の建築であるのに、しかし、合理的にこしらえられ、理にかなわなくなったら使い捨てられるものとして建築がつくられるのはおかしいと、池辺は考えているようだ。建築の工業化を推しつつも、池辺は愛着のない建築の合理化をよしとしない。その志向は、大江の唱える建築のオーソドキシー(もしくは“術”)へと通ずるもののようで、そこに大江と池辺の意外な意気投合が見られた貴重な座談会であった(日光への共感、タウトへの反感も共有されている。ただしサンパウロ日本館については…)。

※『建築雑誌』通算1000号(1968年8月号)掲載の座談会
  • 座談会1:市浦健・白井晟一・堀口捨己・前川国男・山本学治
  • 座談会2:池辺陽・浦辺鎮太郎・大江宏・吉阪隆正・桐敷真次郎
  • 座談会3:圓堂政嘉・大谷幸夫・菊竹清訓・林昌二・宮内嘉久
  • 座談会4:磯崎新・川崎清・黒川紀章・剣持昤・原広司・村松貞次郎
  • まとめ(司会者グループ):山本学治・桐敷真次郎・宮内嘉久・村松貞次郎・田島学・山口広