ひらかれ建築」を問う
~杉並建築展2019トークイベント「建築ファイトクラブ」に寄せて

2019/08/31 種田元晴



日々の仕事に追われ、考える暇を失っ哀れな建築ちに代わって、まず、申し上げい。

「日本に、日本の建築に、日本の建築家に、未来はあるのか!」と

そんなことをホザいている暇があっら、目の前の与えられ仕事をしっかりやろうよ、と言う方々に向かってつぶやきい。

「あなはすでに…死んでいる」と。

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さて、本展覧会のテーマは「ひらかれ建築」である。

はて、「ひらかれ」って、なんだろか。
ようやくひらかれるに至っ、ということなのか。
それとも、ついにひらかれてしまっ、なのか。
あるいは、ちょっくらひらいてみとしよう、なのか。

そもそも、建築が「ひらかれる」とはどういうことなのか。
試しに、〈建築が「外」に放され、解放されること〉だと考えてい。

建築の「外」とは、文字通りに、建築を取り巻く外部環境のこと。
もしくは、建築に関わることのない、異分野の人々。
あるいは、建築とはこういうものだ、という固定観念によって無視されもの。

つまり、建築が「外」に放され、解放されるとは、
建築の壁を取り払って、周囲に内部をさらけ出すこと。
もしくは、建築というジャンルの敷居を低して、より多くの方々に参画してもらうこと。
あるいは、建築という概念自体の意味を、広く捉えること。

では、建築はこれまでまっく「ひらかれ」てこなかっのか。
そんなことはないだろう。
では、どのように「ひらかれ」てきのか。
ざっくりと歴史を振り返ながらちょっとだけ考えてみい。

***

日本の建築家は、明治期に誕生し
明治期の建築ちは、西欧列強からナメられないめに、らの様式建築をマネしてつくっ
そうして、オレちだって富める国なんだと強がってみせ
その頃の建築は、レンガや石の、重くて閉じモニュメントだっ
オリジナルであることよりも、建築とはどうあるべきかという「型」が重んじられ時代だっ

大正期の若手建築ちは、そんな明治期の堅物オヤジちに反発して、独自の表現を追求しようと立ち上がっ
西欧では第一次世界大戦が終結し、各国が自国を立て直そうと頑張ってい
そんななかから、近代建築が誕生し、やがて日本にも伝播する。

昭和期になると、様式建築の時代は完全に過ぎ去り、近代建築の全盛期がやってくる。
重くて閉じ、分厚く荘厳な古典美は流行らなくなっ
その代わりに、鉄とガラスとコンクリートによる、軽くて透明で白い量産型の箱ができまくる。

そんな建築も、戦後になると陳腐化する。
白くて四角い箱は味気なく、単調で、ありふれていて、窮屈で、孤独で、不自然だというのだ。

そうして、成熟期を迎え平成の建築家は、自然の豊かさに気づき、風土に根ざし、そこにしかない、柔らかく、のびやかで、曖昧な、みんなの建築を目指すのだっ

そう、やはり建築はずっと、「ひらかれ」つづけてきのである。
昨日の建築より、明日の建築は、いつも「ひらかれ」ものだっ

さて、わちの世は、多様性をあがめてまつる。
しかしその一方で、隣人への監視を強めている。
もしも多様性を認めない者がいようものなら、すぐにパシャっとツイッっとやられて、炎上、抹殺である。
多様性をういながら、「多様性を認めない」という多様性は認めないのである。
そんな、「こうあるべき」や「こうでなければならない」の押売りされ社会で、我々に自由は存在するのだろうか。

〈「ひらかれ建築〉というひとことには、まだ見ぬ建築の多様な立ち姿や使われ方を認めて欲しいという承認欲求と、建築はみんなのものなのだから秘匿は許すべきでないという声に耳を傾けねばという強迫観念が、併存している。

建築という営みは、技術であり、学術であり、芸術であり、文化である。
そこには、独創が伴っているべきである。
独創は、自由な意思に基づいて行われるべきもの。
あるべき姿に媚びることでは、決してない。

だのに、己の独創性を押し殺して、説明責任を果めになされ仕事のなんと多いことか。
やるべきことでなく、やりいことをやれ!

そんなことをホザいている暇があっら、目の前の与えられ仕事をしっかりやろうよ、と言う向きもあろう。

そんな方々に、改めてこう叫びい。

「あなはすでに…死んでいる!」と。

我々は、生ける屍でありくはない。