直交のなかの彎曲―ル・コルビュジエの平面, 大江宏の立面
2018/05/08 種田元晴
ル・コルビュジエ(1887-1965)の建築が直角な箱形を崩し、彫塑的な様相を呈してくるのは、1945年、還暦前に設計されたユニテ・ダビタシオン(竣工は1952年)以降のことである。しかしル・コルビュジエが非直線的なものに美を見出したのは、これよりもはるか以前のことであった。
オーギュスト・ペレやペーター・ベーレンスに新時代の技術による新しい建築表現の可能性を学んだル・コルビュジエは、非アールヌーヴォー的な機械的な規律正しさ、実用性、形態の純粋幾何学性にこそ美しさがあることに目覚める。そうして、1922年設計のベスニュス邸以降、コルビュジエは、機械的で合理的な白い箱を提示し続けた。しかし、その内部の平面には、常に曲線が入り込んでいたのである。
ル・コルビュジエは確かにアールヌーヴォーには懐疑的だった。だからといって、曲線を嫌悪していたわけではまったくない。自然をモチーフとしたといわれる、渦を巻き方々へと伸びる奔放で非合理的な無秩序な曲がりくねり方を嫌ったものであったのだろう。
ル・コルビュジエの建築平面にみられる曲線は、一見恣意的で手のあとのようでありながら、曲率の異なる円弧もしくは放物線の組み合わせとしての単純性を保ち、幾何学的であることを崩さないでいる(一方で、例えば、ガウディのカサ・バトリョやカサ・ミラの平面図の壁は、もはや単純図形の組み合わせといえる次元を超えた複雑で自由な曲線となっている)。なによりも、そこに人を留まらせて、人を圧倒するアールヌーヴォーの曲線とは異なり、ル・コルビュジエの曲線は、ひとどころに人を留まらせずに、人の流れを導くような機能を持ちあわている。
ベスニュス邸を手掛けていた1922年、コルビュジエは、一方で「300万人の現代都市計画」を提示した。そこには人を優しく導く曲線は見られない。自動車はまっすぐと速く進んでいく。自動車の機械美に魅了されるあまり、その直進性を直截的に表現した直線的に過ぎる計画としたのだった。都市を考えとき、ル・コルビュジエは自動車を想っている。
建築を考えるときのル・コルビュジエの人への想いは、都市のスケールでは一切消し去られてしまっている。1924年に発表した『ユルバニズム』のなかでは、曲がるくねった道は道草を食う「ロバの道」であって、理性と目的をもった人間はまっすぐに進まねばならぬ、とまでいっていた。そして、1925年、ヴォワザン計画で「300万人の現代都市計画」をパリに適用させた姿を提示していた。
1929年、ル・コルビュジエはブエノスアイレスでサン=テグジュペリ(1900-1944)と出会っている。機械技術に魅せられ、自動車のように住宅をつくりたいと考えながら、しかし詩的に生きたル・コルビュジエは、同じく詩的な技術者として翼のはえた自動車を繰る若き郵便飛行士に親近感をおぼえ、そして彼の操縦する飛行機に乗った。
飛行機から見下ろすブエノスアイレスの大地には、河がおおきな曲線を描いて悠々と流れていた。これを見たコルビュジエは大いに感動する。蛇行する河は、ときに氾濫し、周囲の人々のささやかな営みをすべて飲み込んでしまう。しかし、人々は、その度に営みを立て直し、諦めることなく自然と戦い続けていた。
その飽きなき挑戦のこころにコルビュジエは感動したのだった。そこにある曲線は、『ユルバニズム』で挙げた「ロバの道」のような、安直で奔放な、アールヌーヴォー的な曲線ではなかった。戦い抜かれた末の無数の敗北のなかの勇ましさが見出された。自動車でまっすぐにたどり着ける安直なまっすぐさとは異なる、ダイナミズムにあふれる曲線美をコルビュジエはそこに感じ取ったのだった。
しかし、だからと言ってル・コルビュジエは人工が自然に寄り添うべきとは全く思わない。自然の偉大さから、水と同じく流れる自動車のその流れ方にこそ意識が深まるのだった。その点で、コルビュジエは自然への敬意を払い、これを意識するようになっていた。
この直後のリオデジャネイロの計画では、まさに自動車のダイナミックな移動が、周囲の自然地形と呼応するような曲線で表現されている。ル・コルビュジエからすれば、自然は、あくまでも人間の機械文明の詩的展開をよりダイナミックなものとする一要素に過ぎないのである。
そして、ここで感じた曲線のダイナミズムは、ル・コルビュジエをそれ以前の矩形に潜む優美な曲線から卒業させ、やがて後期の力強い彫塑的建築へと誘うこととなってゆく。
しかし、この勇ましい建築家を同乗させて、ともに河を眺めたサン=テグジュペリの想いは、おそらくこの建築家とは異なっていたことだろう。
この14年後に書かれた『星の王子さま』は、人が中心にいる世界観を、機械文明の支配する現実を、直線的な目的をもつべきとの常識を、覆すかのように描かれている。
ところで、大江宏(1913-1989)は、その平面にはほとんど曲線を表さないが、開口部や屋根などその立面にはしばしば曲線を登場させている。
平面に造形を施したコルビュジエには、空からの神の目が常につきまとっていた。自然をも支配しようとの野心も、神としての意識のなせる業であるといえようか。
一方、立面にリズムを生む大江は、大地に建つ人の目線から建築を考えている。日光二荒神域に育ち、神と自然のなんたるかを知る大江の意識は、やはりル・コルビュジエを知れば知るほどにそこから遠ざかってゆく。
しかし、ル・コルビュジエの造形力や表現力にはやはり一目を置いていたのであろうか。大江の描く曲線はたいてい、ゆるやかな放物線と円弧の組み合わせによっている。1920年代の、まだ神になる前のル・コルビュジエが矩形平面に忍ばせていた低い曲率の曲線を、どこか彷彿とさせる気がしてならない。
オーギュスト・ペレやペーター・ベーレンスに新時代の技術による新しい建築表現の可能性を学んだル・コルビュジエは、非アールヌーヴォー的な機械的な規律正しさ、実用性、形態の純粋幾何学性にこそ美しさがあることに目覚める。そうして、1922年設計のベスニュス邸以降、コルビュジエは、機械的で合理的な白い箱を提示し続けた。しかし、その内部の平面には、常に曲線が入り込んでいたのである。
ル・コルビュジエは確かにアールヌーヴォーには懐疑的だった。だからといって、曲線を嫌悪していたわけではまったくない。自然をモチーフとしたといわれる、渦を巻き方々へと伸びる奔放で非合理的な無秩序な曲がりくねり方を嫌ったものであったのだろう。
ル・コルビュジエの建築平面にみられる曲線は、一見恣意的で手のあとのようでありながら、曲率の異なる円弧もしくは放物線の組み合わせとしての単純性を保ち、幾何学的であることを崩さないでいる(一方で、例えば、ガウディのカサ・バトリョやカサ・ミラの平面図の壁は、もはや単純図形の組み合わせといえる次元を超えた複雑で自由な曲線となっている)。なによりも、そこに人を留まらせて、人を圧倒するアールヌーヴォーの曲線とは異なり、ル・コルビュジエの曲線は、ひとどころに人を留まらせずに、人の流れを導くような機能を持ちあわている。
ベスニュス邸を手掛けていた1922年、コルビュジエは、一方で「300万人の現代都市計画」を提示した。そこには人を優しく導く曲線は見られない。自動車はまっすぐと速く進んでいく。自動車の機械美に魅了されるあまり、その直進性を直截的に表現した直線的に過ぎる計画としたのだった。都市を考えとき、ル・コルビュジエは自動車を想っている。
建築を考えるときのル・コルビュジエの人への想いは、都市のスケールでは一切消し去られてしまっている。1924年に発表した『ユルバニズム』のなかでは、曲がるくねった道は道草を食う「ロバの道」であって、理性と目的をもった人間はまっすぐに進まねばならぬ、とまでいっていた。そして、1925年、ヴォワザン計画で「300万人の現代都市計画」をパリに適用させた姿を提示していた。
1929年、ル・コルビュジエはブエノスアイレスでサン=テグジュペリ(1900-1944)と出会っている。機械技術に魅せられ、自動車のように住宅をつくりたいと考えながら、しかし詩的に生きたル・コルビュジエは、同じく詩的な技術者として翼のはえた自動車を繰る若き郵便飛行士に親近感をおぼえ、そして彼の操縦する飛行機に乗った。
飛行機から見下ろすブエノスアイレスの大地には、河がおおきな曲線を描いて悠々と流れていた。これを見たコルビュジエは大いに感動する。蛇行する河は、ときに氾濫し、周囲の人々のささやかな営みをすべて飲み込んでしまう。しかし、人々は、その度に営みを立て直し、諦めることなく自然と戦い続けていた。
その飽きなき挑戦のこころにコルビュジエは感動したのだった。そこにある曲線は、『ユルバニズム』で挙げた「ロバの道」のような、安直で奔放な、アールヌーヴォー的な曲線ではなかった。戦い抜かれた末の無数の敗北のなかの勇ましさが見出された。自動車でまっすぐにたどり着ける安直なまっすぐさとは異なる、ダイナミズムにあふれる曲線美をコルビュジエはそこに感じ取ったのだった。
しかし、だからと言ってル・コルビュジエは人工が自然に寄り添うべきとは全く思わない。自然の偉大さから、水と同じく流れる自動車のその流れ方にこそ意識が深まるのだった。その点で、コルビュジエは自然への敬意を払い、これを意識するようになっていた。
この直後のリオデジャネイロの計画では、まさに自動車のダイナミックな移動が、周囲の自然地形と呼応するような曲線で表現されている。ル・コルビュジエからすれば、自然は、あくまでも人間の機械文明の詩的展開をよりダイナミックなものとする一要素に過ぎないのである。
そして、ここで感じた曲線のダイナミズムは、ル・コルビュジエをそれ以前の矩形に潜む優美な曲線から卒業させ、やがて後期の力強い彫塑的建築へと誘うこととなってゆく。
しかし、この勇ましい建築家を同乗させて、ともに河を眺めたサン=テグジュペリの想いは、おそらくこの建築家とは異なっていたことだろう。
この14年後に書かれた『星の王子さま』は、人が中心にいる世界観を、機械文明の支配する現実を、直線的な目的をもつべきとの常識を、覆すかのように描かれている。
ところで、大江宏(1913-1989)は、その平面にはほとんど曲線を表さないが、開口部や屋根などその立面にはしばしば曲線を登場させている。
平面に造形を施したコルビュジエには、空からの神の目が常につきまとっていた。自然をも支配しようとの野心も、神としての意識のなせる業であるといえようか。
一方、立面にリズムを生む大江は、大地に建つ人の目線から建築を考えている。日光二荒神域に育ち、神と自然のなんたるかを知る大江の意識は、やはりル・コルビュジエを知れば知るほどにそこから遠ざかってゆく。
しかし、ル・コルビュジエの造形力や表現力にはやはり一目を置いていたのであろうか。大江の描く曲線はたいてい、ゆるやかな放物線と円弧の組み合わせによっている。1920年代の、まだ神になる前のル・コルビュジエが矩形平面に忍ばせていた低い曲率の曲線を、どこか彷彿とさせる気がしてならない。