「手法としての「間」」(『KAWASHIMA』1985年6月号)
(大江宏『建築作法』収録論稿)読考
2016/11/10 種田元晴
「間」とは、「マ」とも「アイダ」とも読み、これらは我々も日常でよく用いる言葉である。「マ」と読めば、それはある場所そのものを表すが、「アイダ」と読めば、ある場所と別の場所との境界であったり、距離であったりを表す語となる。つまり、「マ」と「アイダ」ではそもそも意味がずいぶんと異なっているのである。ある決まった一元的な意味を持った言葉ではなく、あいまいな領域、雰囲気を指す言葉なのである。そんな言葉を、我々はまるであるものの意味を言い当てるための言葉であるかのように日常的によく用いている。
「空間(クウカン)」なんて言葉も、ずいぶんと気軽に使っている言葉だ。その意味は多様過ぎて、ほとんど意思疎通不可能と思われるほどの言葉であるのに、しかし、互いにこの意味を了解し合っているかのように、これを用いている。数学者が用いる「空間」と建築学生が講評会で背伸びして用いる「空間」では意味が全く異なっている。数学者に言わせれば「美しい空間」などとは、まるで意味不明なお笑い草であるらしい。それにしても、中国語に由来する音読みの「カン」の意味は、日本独自の訓読みの「間」の意味に比べれば、ある程度限定的になるだろう。
大江は、中国では陰陽の二元論が支配的で、西洋は一神教的一元論が支配的だから、それぞれの建築の構成もそれに基づいてある一つの原理で首尾一貫しているところが特徴的であると説明する。一方で、日本の建築空間を構成する要素は、ある統一的全体の一部としての「エレメント」ではなく、混在併存した総体の断片としての「フラグメント」であるという。建築は単に大陸的に「エレメント」の統一、対比によってのみ成り立つものではなく、一見まったく縁のない「フラグメント」同士に、「間」を介在させることによっても充実した建築空間が出来上がるのだと、大江は主張する。
話題は代表的なエレメントでありフラグメントである「柱」に及ぶ。柱は構造体としての役割を持つばかりではない。構造としての役割はそこそこに、化粧としての役割を多く持った柱が、日本にも西洋にも少なくないことを挙げ、そして、近代以降の構造と化粧は一致すべしとの風潮に異を唱える。
「間」についての考えを概ね示したところで、大江は自作をこれに則して語り出す。この時点での近作である代表作「国立能楽堂」の空間構成が、それまでの自作で試された種々の「間積もり」の蓄積によっていることを端的に説く。それは、25年前、構造を化粧で挟み込んだ「梅若能楽学院」に始まり、「香川県文化会館」で具体化した、必ずしも構造は露出される必要はないとの考えを基調に、フィリップ・ジョンソンの「プロセッション」をイメージした「九十八叟院」や「香川県文化会館」の斜めアプローチによる複棟の接続、異国体験を踏まえて知った様々なフラグメントをきびしい間積もりをもってぶっつけ合わせた「角館伝承館」などを経て、「国立能楽堂」はコンポーズされたのだった。
能舞台は本舞台、橋懸り、鏡の間の一見縁のない「フラグメント」を一体化したものである。そもそも、能舞台は要素が混在併存した建築なのである。これを包む能楽堂は、能舞台のプロセッションの延長であるといってよい。すなわち、演者の側は鏡の間から楽屋、裏口へと続き、見者の側は客席からホワイエ、玄関、正門へと間が積もっている。最奥の能舞台への間積もりの総体である能楽堂を構想するにあたって、能舞台そのものがもつ混在併存性が意識されたことはまったく自然なことであった。