前川國男の「言葉」が教え継ぐもの
―「ホンモノを愛する心」と「執拗な粘り」、そして「新しい価値観の論理を見出す「直感」」へ
―「ホンモノを愛する心」と「執拗な粘り」、そして「新しい価値観の論理を見出す「直感」」へ
2019/7/8 種田元晴
『建築の前夜前川國男文集』は、前川國男(1905-1986)の没後10年に刊行された。編集には、没後4年になって初めて出された前川の作品集を編んだ大谷幸夫をはじめとする前川國男研究会を母体として、そこに当時の中堅建築家・研究者であった布野修司、藤岡洋保、そして、まだ前川事務所のスタッフだった松隈洋などを巻き込んだ編集委員会があたる。
本書には、前川がル・コルビュジエのもとから帰国する1930年から亡くなる1986年までの57年間に書かれた、41編の論考が収められている。それらの文章は4つの時代区分ごとにまとめられ、それぞれの冒頭には布野が端的に時代背景と前川の状況を概説している。
各文章には藤岡・松隈をはじめとする識者の解題が付されている。これらが、前川の「言葉」が、より深く読者に突き刺さる効果を増幅させている。やはり解題は大事である。そしてこれらの本編を、大谷による序文、布野による論考、藤井正一郎との対談、そして藤原千晴によるあとがきが盛り立てる。
大谷の序文では、前川の好んだセナンクールの言葉を引きつつ、「環境の保全と開発の葛藤の場で、建築家の自立と社会との相克」に苛まれながらも、妥協することなく「抵抗」することの重要さこそを前川から学んだという。そして、前川が近代建築のリーダーたり得たことは、「現実を踏まえ可能性として在る未来を構想する能力」をもって「近代建築の本流を構築」しながらも、「現実が孕んでいる破局の予兆を感受し、事態を洞察する能力」を同時に発揮して、「時流に抗して進路の是正を探り続け」たことあると述べている。
実に明快に前川の仕事を評した言葉ではないか。
続く布野の論考「Mr.建築家ー前川國男というラディカリズム」には、41編の全文章のいずれにどのように前川の近代建築家としての覚悟と苦悩と実践が反映されてきたかを整理しつつ、これらが次の世代にまで引き継がれるべき問題として示されている。
とくに、「日本精神の伝統は結局「ホンモノ」を愛する心であったではないか」が論じられた「一九三七年パリ万国博日本館計画所感」(1936)、伝統とはそもそも「不断に変容するもの」であり、その形は「矛盾的統一」によってなるものであって、「「日本趣味的建築」は建築技術と建築表現との現実的統一を忘却したもの」と断ずる「建築の前夜」(1942)、文化は自律的で発散的なものであって、凝集と秩序を目的とする政治によって制御される類のものではないことを主張した「覚え書ー建築の伝統と創造について」(1942)などの戦前・戦中の前川の文章を多く引き合いにだして論じ、前川の初心のありかを明らかにしている点が興味深い。
さて、全体をコーディネートしたと思われる藤原のあとがきによれば、「常に時代を見据え、発言しつづけてきた前川國男の言葉」を、現代の、特に若い人たちに読んで欲しい」との希望によって実現された企画と記されている。「若い人たち」というのは、当時の20代の建築学生〜30代の実務家であろう。刊行から23年後の今、その「若い人たち」すでに実績ある建築家となって、次の「若い人たち」に建築を教えている。
彼らから前川國男の「言葉」を聞くことは、しかしほとんどない。その世代の多くは、海外留学実績をもって大学教員になっていたり、国際的なコンペに入選してパイロットプロジェクトを手掛けていたり、多様な職種と連帯して巨大なプロジェクトを統括したりしている。その意味では、彼らから前川の「言葉」が直接引かれて建築を語られることはなくとも、前川が「言葉」に込めた、建築に向かう態度そのものは、引き継がれていると言ってよさそうである。そのかつての「若い人たち」の背中を見て、筆者ら当代の「若い人たち」もまた、前川の「言葉」そのものなくしても、間接的に、その「言葉」のニュアンスだけは感じ取れていたかもしれない。
しかし、やはりなにごとも原典にあたって考えることが、己の次の一手をたくましくするものである。そしてやはり、かつての「若い人たち」皆が、前川の「言葉」を胸に刻んで建築に向き合い続けていたとも限らないのだ。そのような類のかつての「若い人たち」が、建築に妥協し、儲け主義に走り、利己心に包まれた様をもまた、筆者ら当代の「若い人たち」は目の当たりにしてしまっている。
あるいは、この程度で構わないのだなと己を甘やかし、気づけばその似姿をうつし出し、前川の「もうだまっていられない」状況そのものを招く危険と常に隣り合っていることをもまた、我々は自覚せねばならぬのである。
我々は、前川のいう「「ホンモノ」を愛する心の醸成された」、「足を地につけた悠然たる青年建築家」たり得ているだろうか。また、「自由な立場のある建築家」の矜持を失うことなく、時勢の移り変わりに翻弄されずに、「不易なもの」を守り続けられているであろうか。
そのような自省から、やはり前川が残した「言葉」そのものに触れて、建築との付き合い方を考えねばならぬと、建築に関わる一学徒として襟を正す次第である。
布野が述べるように、「前川國男の一生を賭けた物語」を、若い世代の引き受けるべき問題であると自覚して、一方で大江や丹下、立原の建築観を追いながら、それらと比較しつつ、繰り返し前川の作品と論考を読んで、未だ乗り越えられざる「近代建築とは何か」との問いを考え、そして明日の建築の姿を思わねばならない。
本書には、前川がル・コルビュジエのもとから帰国する1930年から亡くなる1986年までの57年間に書かれた、41編の論考が収められている。それらの文章は4つの時代区分ごとにまとめられ、それぞれの冒頭には布野が端的に時代背景と前川の状況を概説している。
各文章には藤岡・松隈をはじめとする識者の解題が付されている。これらが、前川の「言葉」が、より深く読者に突き刺さる効果を増幅させている。やはり解題は大事である。そしてこれらの本編を、大谷による序文、布野による論考、藤井正一郎との対談、そして藤原千晴によるあとがきが盛り立てる。
大谷の序文では、前川の好んだセナンクールの言葉を引きつつ、「環境の保全と開発の葛藤の場で、建築家の自立と社会との相克」に苛まれながらも、妥協することなく「抵抗」することの重要さこそを前川から学んだという。そして、前川が近代建築のリーダーたり得たことは、「現実を踏まえ可能性として在る未来を構想する能力」をもって「近代建築の本流を構築」しながらも、「現実が孕んでいる破局の予兆を感受し、事態を洞察する能力」を同時に発揮して、「時流に抗して進路の是正を探り続け」たことあると述べている。
実に明快に前川の仕事を評した言葉ではないか。
続く布野の論考「Mr.建築家ー前川國男というラディカリズム」には、41編の全文章のいずれにどのように前川の近代建築家としての覚悟と苦悩と実践が反映されてきたかを整理しつつ、これらが次の世代にまで引き継がれるべき問題として示されている。
とくに、「日本精神の伝統は結局「ホンモノ」を愛する心であったではないか」が論じられた「一九三七年パリ万国博日本館計画所感」(1936)、伝統とはそもそも「不断に変容するもの」であり、その形は「矛盾的統一」によってなるものであって、「「日本趣味的建築」は建築技術と建築表現との現実的統一を忘却したもの」と断ずる「建築の前夜」(1942)、文化は自律的で発散的なものであって、凝集と秩序を目的とする政治によって制御される類のものではないことを主張した「覚え書ー建築の伝統と創造について」(1942)などの戦前・戦中の前川の文章を多く引き合いにだして論じ、前川の初心のありかを明らかにしている点が興味深い。
さて、全体をコーディネートしたと思われる藤原のあとがきによれば、「常に時代を見据え、発言しつづけてきた前川國男の言葉」を、現代の、特に若い人たちに読んで欲しい」との希望によって実現された企画と記されている。「若い人たち」というのは、当時の20代の建築学生〜30代の実務家であろう。刊行から23年後の今、その「若い人たち」すでに実績ある建築家となって、次の「若い人たち」に建築を教えている。
彼らから前川國男の「言葉」を聞くことは、しかしほとんどない。その世代の多くは、海外留学実績をもって大学教員になっていたり、国際的なコンペに入選してパイロットプロジェクトを手掛けていたり、多様な職種と連帯して巨大なプロジェクトを統括したりしている。その意味では、彼らから前川の「言葉」が直接引かれて建築を語られることはなくとも、前川が「言葉」に込めた、建築に向かう態度そのものは、引き継がれていると言ってよさそうである。そのかつての「若い人たち」の背中を見て、筆者ら当代の「若い人たち」もまた、前川の「言葉」そのものなくしても、間接的に、その「言葉」のニュアンスだけは感じ取れていたかもしれない。
しかし、やはりなにごとも原典にあたって考えることが、己の次の一手をたくましくするものである。そしてやはり、かつての「若い人たち」皆が、前川の「言葉」を胸に刻んで建築に向き合い続けていたとも限らないのだ。そのような類のかつての「若い人たち」が、建築に妥協し、儲け主義に走り、利己心に包まれた様をもまた、筆者ら当代の「若い人たち」は目の当たりにしてしまっている。
あるいは、この程度で構わないのだなと己を甘やかし、気づけばその似姿をうつし出し、前川の「もうだまっていられない」状況そのものを招く危険と常に隣り合っていることをもまた、我々は自覚せねばならぬのである。
我々は、前川のいう「「ホンモノ」を愛する心の醸成された」、「足を地につけた悠然たる青年建築家」たり得ているだろうか。また、「自由な立場のある建築家」の矜持を失うことなく、時勢の移り変わりに翻弄されずに、「不易なもの」を守り続けられているであろうか。
そのような自省から、やはり前川が残した「言葉」そのものに触れて、建築との付き合い方を考えねばならぬと、建築に関わる一学徒として襟を正す次第である。
布野が述べるように、「前川國男の一生を賭けた物語」を、若い世代の引き受けるべき問題であると自覚して、一方で大江や丹下、立原の建築観を追いながら、それらと比較しつつ、繰り返し前川の作品と論考を読んで、未だ乗り越えられざる「近代建築とは何か」との問いを考え、そして明日の建築の姿を思わねばならない。