似顔絵と数学(フィクション)

2019/11/9 種田元晴


口上
 似顔絵を生業としています。ウソです。でも似顔絵を描くことが好きです。例えばこんな似顔絵を描いています(似顔絵のページへ)。
 似顔絵を描き始めたのは、高校生の頃からでした。そのきっかけは、数学が出来なかったからです。
 似顔絵と数学なんて、なんの関係があるのかとお思いでしょう。そう、別に関係なんかありません。一般には。でも、ぼくにとっては関係あるんです。
 「ぼくにとって」なんて個人的な問題などどうでもいい、と言われるかもしれません。しかし、物語というのはいつだって個人的なものだと思います。物語のないところに世界は存在しませんから、世界を成り立たせる論理も語ることはできないでしょう。
 要するに、世界はわがままな個人的感情同士の偶然な交わりによって成り立っているのだと思います。関係とは、この偶然な交わりの、必然性の度合いを指すのだと思います。
 ですから、この駄文を目に入れてしまったあなたには、この偶然をどうか必然と思っていただければ幸いです。

塾講

 さて、なんの話でしたっけ。似顔絵と数学の関係ですね。
 そう、高校生のとき、ぼくは数学がまったくできませんでした。と、過去形で書くと、じゃあその後はできるようになったのかよ、とつっこまれそうです。
 でも、確かに多少はできるようになりました。それはなぜかというと、数学を教えなければいけない状況が生まれたからです。
 大学生になって、ダメな日々を送り、なんでもいいからバイトを、と思ってはじめたのが個別指導塾でした。理系だからという理由で数学を持たされたのですが、はじめは教えられることなどありません。なにしろまったくできないのですから。
 しかし、幸いにも?ぼくの受け持ちは勉強の苦手な生徒ばかりでした。そこで、彼らと一緒にもう一度小学算数からやり直すことにしたんです。そんなことを結局11年繰り返しました。
 そりゃあ多少はできるようにはなりましたよ。あるいは数学がもっとできていたら、ぼくはとっととあんなバイトを辞めていたかもしれません。この冊子「無駄」のメンバーと出会うことすらなかったでしょう。そして、ここにこの話を書くこともなかったわけです。数学ができなかったことには感謝しなければなりませんね。

中受

 さて、高校生のとき数学がまったくできなかったことを話していたのでした。どうも脱線が多くなりがちです。
 ぼくは中学受験をしました。また脱線かよ、と思わず、まあ聞いてください。とにかく中学受験をして、そして中高一貫校に入学しました。ちなみに、中高一貫校では、高校1年生は4年生と呼ばれます。受験から4年が経った学年ということですね。
 中学受験というものは、時として人を廃人にします。それはなぜかというと、中学受験が自分の意志によらない、親の意志によるものであって、その親の希望を満たすために、徹底的に入力と出力をプログラミングされる機械化教育だからです。
 ぼくが人生で一番勉強したのは小学6年生の時です。一日17時間くらいは勉強していたと思います。毎日眠かった。宿題が塾から大量に出るんです。プリントを積み上げると2センチくらいでしょうか。それを2日おきに提出しなければなりません。
 提出しなかったらどうなるかというと、殴られます。もしくは、大量のツバを浴びせられながらの怒声に鼓膜を破壊されます。
 今では見られない光景となりましたが、これは当時の中学受験塾の日常の風景だと思います。小学生が自発的に将来のビジョンを掲げて勉強するなんてことがあろうはずがありません。
 中学受験とは、親の許可を得て子どもを軟禁し、恐怖を与えて勉強させる。かつてはそういうものでした。念のために、今は全然違います。そして、その時の勉強量が今のぼくを支えている実感もありますので、受験させてくれたことには感謝しています。
 そんな苦行に耐えて中高一貫校に入学したチューボーの解放感といったら。ひとかたならぬものであることが容易に想像できるでしょう。そうしていわゆる燃え尽き症候群になるわけです。そしてまったく勉強しなくなる。

邂逅
 しかし、中学の勉強までは、中学受験の知識で大抵の科目はなんと乗り切れてしまうんです。英語は別として。
 問題は高校からです。英語はまだ感覚でどうにかなる部分がありました。いやそれもウソですが、しかし、数学だけはまったくどうにもなりませんでした。
 ぼくは数学の習熟度別クラスの最下位のクラスで授業を受けることになりました。そのクラスを担当されていたのは、再雇用のおじいちゃん先生でした。なんと言ったかな。とりあえず寒河江先生(仮称)ということにしましょう。
 その寒河江先生は、それはもう嬉々として数学の楽しみを語ってくれていました。寒河江先生は、背が低く、小太りで、太めで直毛でフサフサな白髪頭に寝ぐせが必ずついていて、くりくりとした瞳を見開いてややどもりながら話し、ほっぺたをいつもぷっくりと赤らめていました。あの笑顔は今でも忘れられません。
 再雇用されるくらいなのですから、現役の頃にはそれなりに業績を上げた先生だったのかもしれません。しかし、こちとらまったく数学ができないのですから、その楽しみをまったく共有できないわけです。
 しかも、共有できないのはぼくばかりではありません。なにしろ最下位クラスなのです。クラスの全員が、その楽しみを共有できなかったわけです。なかなか強烈に天然ぼけ気味な先生のキャラクターも相まって(というよりもこれが最も大きかったと思いますが)、生徒たちは先生への敬意を失っていきました。

無恥
 時として、よくわかっていながら口下手な少数派の懸命な主張は、なにもわかってない饒舌な多数派にとって、嘲笑の対象となりがちです。自分たちの方がわかっていないのに、単に数が多いからというだけで勝ち誇った気になる。人間は実に愚かです。高校生のぼくも、どこかの国の政権与党の政治家のような、そんな愚かな一人でした。
 こうなると、もはや愚かな生徒らにとって、その授業の楽しみは、ひとりで楽しそうに笑っているボケたじいさんの姿(事実は別として、少なくとも生徒らにはそう映っていたわけです)を鑑賞することに終始します。そうして、悪意の高じたぼくは、授業が始まる前に、黒板の端に(教室の黒板って左右に一段引っ込んだちいさい部分がありますよね、そこの窓側、つまり先生からは気づきにくいところに)、その先生の満面の笑みを描いて先生を待ち構えるのでした。
 似ていないとまったく面白くありませんから、それはそれは気合いをいれて描いたものです。先生が教室に入ってきます。そして、朝のうちに描いておいた似顔絵とおんなじ表情で話しはじめます。その瞬間、全員が噴き出して笑い出すわけです。
 しかし、先生は似顔絵に気付いていません。何が起こったのかと不思議な顔をしています。その困った姿をみて、悪童らの腹はよじれかえってしまうのでした。
 なんとも悪趣味かつ卑劣な遊びだったと、猛省しています。もはや事件だったといってもいい。そんな態度では数学ができるようになろうはずもありません。一方で、教師となった今では、因果応報、明日はわが身と心せねばとも思っています。

感得

 ただ、そのとき、なぜこんなにも似顔絵は人にウケるのかと、とても不思議に思ったのでした。
 ぼくの描く似顔絵は、デッサンではありません。実物の模写でもなければ、陰影をつけているわけでもありません。つまり、ありのままを描いていません。いわば単なる図形です。でもそれを見る側は、その図形に実物との共通点を勝手に見出し、そのデフォルメ具合に笑うわけです。
 これはなかなかに奥の深い芸当ではないか、と寒河江事件をきっかけに考えはじめました。ぼくは似顔絵でなにを表現していたのか。悪童らには絵のどこが面白かったのか。そして、大学生になって以降、毎年少しずつ似顔絵を描きながら考え続けました。
 色々と考えてみた結果、どうもぼくは老人のシワを描くのが好きらしいことがだんだんとわかってきました。
 たしかに寒河江先生の顔はしわくちゃでした。今まで描いたものをみても、若いひとはほとんど描いていません。描きたいものを描こうと思ったとき、ぼくが選ぶ題材は常にシワの特徴的なひとだったと思います。

迂闊

 思い返せば、ぼくは小学生の時からおじいさんの絵よく描いていたのでした。漫画クラブというのに所属しておりました。
 いつだったか、クラブ活動の成果を体育館で発表する機会を与えられました。今では人前で話すことに抵抗はありませんが、小学生のぼくには死ぬほどイヤな機会でした。
 漫画クラブは、体育館で、セル画に描いた絵を映写しながらプレゼンしました。ぼくはなぜか、白髪まじりのざんばらハゲ頭に、口ひげあごひげを蓄えた、着物のジジイの絵を描きました。たぶん、横山光輝『三国志』にハマっていた頃なので、その中に出てくる仙人を想起して描いたのでしょう。
 その絵を見せながら、「ぼくはおじいちゃんの絵を描くのが好きです」と発言しました。そして、体育館に集まった児童全員から盛大な失笑を浴びせられました。なぜ笑うんだ!?と憤ったものです。
 今となっては、そりゃあ笑われるだろうとは思います。きっと、数学のまったくわからない生徒に、数学を嬉々として教える寒河江先生と同じ状況だったのだろうと思います。

終幕

 さて、紙面がそろそろ尽きます。本当は、似顔絵の技法や意義など、もっとマジメな似顔絵制作論を展開するつもりでした。それは次の機会にします。
 この駄文を書いてみて、気づいたことがあります。それは、今のぼくは結局、小学生の時に培ったものだけで生きている、「小学生以上」な存在でしかない、ということです。
 「以上」がやがて「未満」となったとき、『ベンジャミン・バトン』でも思い出しながら、潔く消えようと思います。


第29回文学フリマ出品同人誌『無駄』vol.1, オルカパブリッシング発行, 2019.11 掲載)