ドレッシングと近代建築 ー大江宏の混在併存
2019/8/14 種田元晴
空間が生野菜だとすると、建物はドレッシングだといえまいか。美しい器に盛られた新鮮な生野菜に、豊潤なドレッシングがかけられて、サラダというごちそうが成立する。同じように、個性ある周辺環境に囲まれた敷地に、生き生きと縄張りされた空間が、巧みな造形による建物に覆われることで、味わい深い名建築となる。
戦前に生まれ、戦中を経験し、戦後に活躍した日本の建築家にとって、西欧由来のモダニズムを受け入れながら、日本古来の伝統を意識することは、必然の態度だった。いかなる背景をも捨象し、均しく合理的な白くて四角い箱の普及をめざすモダニズムの理念と、日本に伝統的に根づく質素で静かな観念とは、実はどこかで通じている。そのように気づいたのは、1930年代、戦前に来日した外国人であった。
大江宏は、そんな1930年代に建築を学んだ。とくに、幼少期を日光二荒神域に過ごした大江にとって、伝統への意識はひとかたならぬものであった。
大江宏は、1913年に生まれ、1989年に没した。ほぼ大正~昭和にかけての時代を丸々生きたことになる。
父・新太郎は明治期の近代建築の正統を学び、古代ギリシャ・ローマの色彩装飾に通じる一方で、日光東照宮の修繕や明治神宮の造営をはじめ、数多の寺社仏閣の新築・増改築を生業とした建築家であった。そんな鵺のごとき父の傍らで、大江宏は日本と西欧の古典に対する素養を、幼少より醸成し続けていたのであった。
しかし、父の母校で建築を学びはじめた直後、父はこの世を去ってしまう。惣領の宏はひとり立ちを余儀なくされる。しかも大学で教わる建築は、これまで父のもとで滋養されてきたものとは全く異なるものだった。
先輩にあたる土浦亀城の自邸や堀口捨己の「若狭邸」を見学したり、外国雑誌を繰っては、時のスタアであったル・コルビュジエやミース、グロピウスらをもてはやしながら、白くて四角いインターナショナル・スタイルの建築への憧れを募らせ、その体得に精一杯勤しんだ。
一方で、同級だった建築家・丹下健三、評論家・浜口隆一、ひとつ上の学年だった詩人・立原道造などとともに、東京帝大の教官であった岸田日出刀から、日本の風土に根ざしたモダニズム建築のあるべき姿とはなにかと叩き込まれる。軍靴の足音がけたたましくなるなか、皆が伝統を意識しながら近代を求めていた。とはいえ、大江が身をもって感得した伝統は、皆が机上に学ぶ伝統とはどこか違っていたのだった。
やがて戦後を迎え、独立してまもなく大江が手掛けたのは、白く四角く透明な箱にネオンサインが輝いた、ホテルと見紛うほどにモダンな「法政大学53年館(旧大学院棟)」であった。父の亡霊を背負いながらも、憧れ続けたインターナショナル・スタイルの建築を、日本でどうしても実現してみたかったとの宿願が、ここで果たされたのだった。
しかし、その直後、世界旅行を機にモダニズムへの懐疑が芽生えはじめる。世界の多様性を目の当たりにして、画一の建築教義など存在しないことを肌身で感じてしまったのだった。
それでも、一度憧れたものはそう簡単にはかなぐり捨てられない。一方で、伝統の感覚も身に沁みついて離れない。相対するこれらを容易く融合することもままならない。伝統と近代とをいかにして一つの建築に同居させるかを思い悩む。
そんな矢先、同級だった丹下健三が「香川県庁舎」を完成させる。丹下は潔く伝統を抽象化し、そして近代と見事に融合させてみせた。大江には到底成し得ない芸当を見せつけられたのだった。
しかし、大江は大江らしく伝統と近代の問題に立ち向かう。大江は両者をそれぞれ具象のまま、決して融合することなく「混在併存」させてみせる。そうして出来上がったのが「香川県文化会館」であった。
「香川県文化会館」は、石垣を思わせる長大な壁、櫓門のような自動扉、社寺を思わせる銅板葺の陸屋根、茶室の露地に見立てたエレベーターホール、白木づくりのオーディトリウム、シャンデリアのような和紙の照明を併せ持つ。近代の技術と伝統の作法が、まさに混在し併存しているのである。
なにより運命的なのは、悩ましく混在・併存を究めた大江の「香川県文化会館」と、潔く抽象・融合された丹下の「香川県庁舎」とが対面して建っていること。この両者から、伝統と近代の多様な共存のあり方のその両極が、対比的に観察できるのだ。
さて、この二つの建築における伝統と近代のあり方の差異は、ドレッシングになぞらえるとわかりやすい。ようやくここで冒頭につながる。
ドレッシングは油と酢とで出来ている。試みに、油をモダニズム、酢を伝統と考えたい。すると、丹下のそれは、油と酢が互いに微粒子化して融合した乳化液状ドレッシング、大江のそれは、油と酢とが決して混じり合うことなく元の姿のまま共にある分離液状ドレッシングになぞらえられそうだ。
乳化タイプは、かけるだけで、手軽にいつも変わらぬ美味しさ。分離タイプは、振る手間がいるうえに、時間が経つとすぐに味が変わる。どちらが美味いかとの問いが愚問であるように、建築の味わいもそれぞれにある。
「香川県庁舎」を味わうとき、「香川県文化会館」も忘れずに味わってほしい。