逸品と珍品
「様式と装飾」(『建築文化』1974年11月号)
「内と外―浜田屋三越店」(『商店建築』1974年2月号)
「ディテールの美的表現―神明造り」(『ディテール』1974年4月号)
(大江宏『建築作法』収録論稿)読考
2016/03/03 種田元晴
大江宏は、1973年から76年にわたって、日本建築家協会会長をつとめた。そこで大江は、建築家の職能に対する社会的地位の向上を目指して粉骨した。これらの文章は、それに伴って、これまでに自身の建築の矜持として煮詰めていたことを、建築界全体の問題に対するものとして考え直したものである。
近代以来、建築家と一般の人びととは隔離され、それによって建築家のプロ意識が薄らいだという大江は、そのことと現代建築における様式的表現と装飾的ディテールの喪失と無関係ではないと述べる。
機械による大量生産、大量消費は、プロダクトデザインという新たな造形文化を生み出した。プロダクトデザインにとって重要なことは、多くのひとが欲しいと思うものを編み出し、そしてそれを大量に、同じ質でつくることである。いいものだとおもって造り過ぎでしまったが売れなかったでは済まされないので、市場がなにをもとめているのかを徹底的に調査することも重要なデザインの一部だ。
それに対して建築は、一品生産を基本としている。近代化以前の建築は、手仕事によって部材がつくられ、どのようにこれらを納めるかをその都度思案するなど、勘と経験がその質を大きく支えていた。しかし、工業化が進むと、部材は標準化され、各種メーカーの既製品をどのようにか組み合わせれば、手仕事の妙を必要とせずとも、建築が出来上がるようになった。ともすれば、カタログ建築などと揶揄されるほどに、建築はレゴ化したのだった。
たしかに、絶対的な量の確保を急務とした大戦直後の建築家らにとって、それは、ひとつの建築の新しいかたちであり、悲願でもあった。しかし、やがてハウスメーカーが台頭し、建築に精通したものでなくとも建築を作れる時代がやってきて、製品としての質とその量を確保することを第一と考えた経済強者により、建築家による一品の個性・文化であったはずの建築は、いつしか珍品とすら捉えられてしまうほどの風潮となってしまった。
現代は、この観念の延長にある。つまり、すでに量から質の時代へと転換したことを誰もが認めつつも、しかし、実態としては未だに質よりも量を求めることをやめられない世界に私たちは生きている。
大江がここで語った建築家の危機は、単に建築に留まるものでも、その時代にとどまるものでもない。まさに、大江の唱えた危惧が、いまだに解消されていないのである。しかも、大江の頃には、周囲が盲目的に近代を追いすぎているために、手仕事の大切さに対する認識を持てないでいたのに対して、現代は、みんな手仕事は大切なことはよく認識してはいるが、でも経済的に不利だからなかなかそうはならない、といった、確信犯的なそれであるだけに、なお厄介である。そして、そのために、大江の頃にはまだ新しかった近代の手仕事建築が、経済性と陳腐化を理由に、手離しに失われること事例も少なくない。
その一方で、昨今、建築についての考え方が、建築家と一般との間で開きがあるのでこれをどうにかせねば、状況を具体的に解決しようとする動きがいくつかある。
例えば、市民向けに建築の街歩きを企画する団体がそれなりに増えつつあることや、建築の形態を身体で模写する「けんちく体操」の普及に尽力する方がいること、また、建築の設計図書や模型を文化財とみなして、これを収集・保存・展示する国立近現代建築資料館ができたことなどが挙げられる。
大江が唱えていた危惧が、40年の時を超えてやっと、実行に移されてきているのだ。