「入善町民会館」を見る


2023/12/13 種田元晴

11月最後の週末、日本図学会大会のため、富山は宇奈月温泉に赴いた。北陸新幹線「はくたか」に乗り、東京から最寄りの黒部宇奈月温泉駅までたった2時間17分。そこから市鉄に揺られて30分で温泉街にたどり着く。交通に至便な秘境の保養地である。

出発当日の東京はとても暖かかったので、やや薄めの格好で出たが、着けばそれはもう凍えるほどの寒さであった。吐く息も白く、翌朝はうっすら雪景色で、紅葉と相まって実に色彩豊かな風景だったようである(色弱の私にはあまりよくわからない)。

大会での研究発表を終えた日曜日、前から訪れたかった隠れた名建築「入善町民会館」を見に行った。
はじめは一人で電車と徒歩で行こうかと思っていたのだが、電車の本数は少ないし、駅からも遠く、1時間半はかかる道のりで、なかなかしんどい。
しかし、宇奈月温泉からはまっすぐ北西に位置し、車で行けば15分。たまたま、ともに大会に参加していた大学院生らが車で来ていたので、彼らにお願いして、一緒に連れて行ってもらうことにした。

「入善町民会館」の基本設計は大江宏建築事務所。
実施設計は富山の老舗の三四五建築研究所(稲葉実)が手掛けた。
公募により200件近くの応募案から選ばれ、1986年に竣工した。

回廊南東端のアイキャッチとなるコーナー(撮影:種田)


大江宏(1913-1989)は、丹下健三(1913-2005)と同級生でライバルと目される、近代日本の主要な建築家の一人である。
日光東照宮の大修理を手掛けた建築家・大江新太郎の長男として幼少期の頃より伝統建築の素養を身に付けながら、大学に入るとモダニズム建築の美学を学んでこれに憧れた。
次第に、グローバルな視野で伝統の本質を追究することとなり、均質・合理よりも多様・矛盾の豊かさに気づく。
そして、近代技術の機械美、伝統的な格式美、地中海世界の様式美といった相矛盾する要素を混在併存させる、独特で難解でどこか心地よい建築の佇まいを実現させる建築家として大成した。

「入善町民会館」はそんな大江晩年の一作である。
回廊の廻る正方形の中庭をアプローチ空間とする、いかにも大江らしい空間構成がなによりの魅力。
回廊には、これまた大江好みの細いプレキャストコンクリートの円柱が壁に寄り添っていて、その上にアーチがかかる開口部が連続している。

大江宏設計「入善町民会館」(1986) のアプローチ空間を兼ねた中庭
(撮影:種田)

なお、円柱と開口部がロの字型に連続する回廊をアプローチとする構成は、2年後に建つ大江の「角館町平福記念美術館」(1988)にもみられる(こちらは半円アーチではなく三角アーチであるが)。

大江宏設計「角館町平福記念美術館」(1988) アプローチ空間を兼ねた中庭
(撮影:種田)

そのアイキャッチとなるのは、交差点に面した回廊東端にかかる急勾配の方形屋根。大江宏は正方形を好んでよく用いるが、ここでも平面にいくつかの正方形をしのばせている。

水盤に映えるアイキャッチ(撮影:種田)

まさに大江晩年にして、それまでに培った古今東西混在併存の美学が集大成された佇まいを持つ建築といえる。

建物には、560席のクラシック専門ホール、市民の芸術展示ができる二層のギャラリー、図書館が内包されている。
外に比して内の姿は凡庸であるが、見た目よりも使い勝手と予算が優先され、親しみやすい設えとしたことが窺える。
おそらく、外部は基本設計者の、内部は実施設計者の腕の見せ所として棲み分けたとみえる。

西洋中世的な回廊の連続アーチに切り取られた日本的な切妻屋根のに街並み
(撮影:種田)

竣工当時の『日経アーキテクチュア』1986年8月11日号の記事によれば、
〈かつては,稲作出稼ぎの貧農が多く,しかも,「富山の中でも金沢に近いこの地は文化的に貧しい」と長い間言われてきた。ところが近年,土質改良や区画整理がなされ,町は,面積の85%を占める広い平坦地と豊富な水資源を利用した県内随一のコシヒカリの産地に成長した。しかも,東洋紡,トヨタ,NEC等の工場を誘致した効果も出て,町を挙げての農工一体の産業体制が出来上がり,入善は今,経済的に県内で上位にランクされるほど豊かである。〉
という背景を受けて、念願叶って文化施設が設置されるに至ったとのこと。

列柱のオブジェの奥に回廊、そのさらに奥に建築物(撮影:種田)

訪れた日は日曜日だったが、小中学生の美術展を見に来る人々、スタインウェイのピアノ無料開放を予約して練習する人、図書館で読書に勤しむ人々、空いている学習室でオンライン会議をする人など、市民が居心地よさそうに思い思いの過ごし方をしていたのが印象深い。

カラータイルの壁面と軒先の列柱が映える図書館棟のサブエントランス
(撮影:種田)

近年、大江宏の建築が各地で次々と壊されている。
そんな現状にあって、町にとってのひとつのエポックメイキングとなった重要な施設として、ここはこれからも長く愛される場所であってほしい。

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長尾重武編『黒の会手帖』第24号(黒の会発行),p.20, 2023.12 掲載