「気配の美学」(『風声』18号、1984年8月、神代雄一郎との対談)
(大江宏『建築と気配』収録論稿)読考
2017/05/16 種田元晴
神代に対する大江の信頼感がよく表れたかのように、日本の伝統文化の多岐にわたっての議論が展開された対談である。
大江の状況は、建築をつくる立場としては、一応の集大成として国立能楽堂を仕上げ、建築を考え、教える立場としては、法政大学での務めを果たし終えた直後というものであった。同人誌である「風声」誌上で交わされた対談であるだけに、お互いの言葉が余所行きでない。彼らに関心ないのもの、好意的でないものに読まれることを警戒せずに語り合えた様が読み取れる。
言葉をつむぐ世界に生きる神代は、言葉の成り立ち、意味、定義にこだわっている。一方、場所をつくる世界に生きる大江は、言い得ない感覚、雰囲気にこだわっている。互いの感性は対を成すほどの違いをもちながら、しかし反目することは一切ない。信頼の証である。それ故に、互いの主張にも、遠慮がない。
対談では実に多岐にわたる話題が提出されている。「気配」に始まり、「カルティヴェート」、「さっぽう」、「間積り」、「日光」、「竪もの」、「葛城(かづらき)」、「土着性」など、様々なキーワードが神代から投げかけられ、それを大江がかいくぐる。
多くを語らない大江が饒舌に返しているのは、能のこと、日光のこと、そして堀口捨己に関する話題に対してであった。前者のふたつは、これまでもたびたびに触れてきた、大江の建築観の根底をなす事項である。堀口についても、たびたび師と仰いで教えを乞うたことが語られている。
堀口に関しては、この対談ではじめて告白された話があった。堀口の喜寿祝いのときのことである。大江は、堀口が修験道に造詣の深かったことに触れ、堀口が喜寿の頃に、お天道さまがあまねく照らす世界と、役小角をシンボルとする深山での霊的な世界との両方を建築家は理解せねばと思い立ったという。
堀口の喜寿の頃は、すなわち1972年頃ということになる。このころの大江は、二度目の旅行後の一連の様式混在による建築を経て、銀座能楽堂や丸亀武道館などの伝統要素を含む建築に取り組んでいた頃であった。以降、幸運にも、寺社建築の仕事が続いていくことになる。日本のルーツを海外に求め、これを確認してやや極端に走った後に、大江は伝統と再度向き合ったのだった。60年代のような、近代と伝統との折り合いへの葛藤からは大きく飛躍した理解に到達した頃であった。
横と縦に関する議論も印象深い。大江の建築は縦長のプロポーションを持つと言われる。これを言い出した最初は、おそらく『建築家・人と作品』での川添登の発言ではないか。川添は、大江を縦長、丹下健三を横長と言って、両者のプロポーションを対比的述べ並べた。
縦は糸に従う、横は黄色い木とそれぞれ書く。横は本来は、閂(かんぬき)を意味した言葉であったらしい。字面としては意味不明であるものの、それぞれのもつ語感、語音には、日本人がこれらの言葉に古来より込めたニュアンスを感じ取ることができる。
「たて」には立てる、建てる、点てるなど、これからなにかを行うような、前向きな意思が込められる。竪、盾、館など、固いもの、守るものをも表す。「よこ」を表す漢字は横のみである。横を含む言葉には、横暴、横領、横槍などがある。「邪(よこしま)」も「よこ」の音がつく。「たて」には善なるイメージが、「よこ」には悪なるイメージが、昔からそれとなく込められているかのようだ。
縦と横に関する議論では、常に大江らの、丹下らへの意識が勘ぐられてならない。