方形屋根と丸柱 ―苦楽園の家を訪れて
設計:大江宏/竣工:1976年
2016/04/13  種田元晴


 JR芦屋駅からタクシーで北へ15分ほど行った丘の頂上に「堀江オルゴール博物館」(設計:天野彰/竣工:1993年)がある。オルゴールの収集家・堀江光男氏が欧米から集めてきた約360台のアンティークオルゴールのための施設である。博物館は予約制で、申し込むと10人程度のツアー形式で、学芸員の方が19世紀頃に作られた貴重なオルゴールの実物ひとつひとつを丁寧に解説しながら、その音色を聞かせてくれる。

 「苦楽園の家」は、このオルゴール博物館のある広大な敷地内に建つ、堀江氏の旧宅である。苦楽園の家は、大江宏がその世界史観を煮詰め、多様な様式に精通した先に行きついた表現が色濃く反映された住宅建築である。

 ここには、いまも調整中の貴重なオルゴールの数々が保管されている。そのため、残念ながら住宅内部は非公開である。幸い、その外観は南側の庭園から拝むことが出来る。

 西宮市の山手に建つ高級住宅街・苦楽園のほぼ頂部に位置するこの敷地は、南側に広がる芦屋浜方面が一望できる好立地である。南面した居間からの眺望は格別なものだったと想像する。

 敷地は1500坪と非常に広大である。その半分は、斜面を有効に生かした風光明媚な日本庭園となっている。この庭園もツアーの一環として観覧可能だ。堀江光男氏が存命の頃を長く支えられていたと思しき翁が、1500坪の敷地内を丁寧に案内してくれる。オルゴールを単に楽しんでもらうのではなく、敷地と建物とオルゴールとが一体的にあるこの場所の雰囲気を味わってもらいたい、というのが、翁の願いとのことである。「今後、このような想いを引き継いでくれる若手が現れてくれれば」ともおっしゃっていた。

 翁によれば、この広大な敷地は、もとは別のオーナーが所有していたものであるらしい。この日本庭園は、前のオーナーの時から既にそこにあったものとのことだ(1922年頃に整えられたものらしい)。「苦楽園の家」を依頼された時の大江宏は、この日本庭園をみて、是非とも引き受けたい、との意欲を強く示したとのことである。

 かくして大江は、日本庭園が元からあった土地に、オルゴールを収集する西洋趣味の施主のための家をつくることとなる。大江にとっては、まさに「混在併存」の意匠を実現する絶好の機会であったはずだ。

 さて、1970年代の大江宏は、「茨城県公館」や「角館伝承館」など、1965年の地中海・中近東旅行からの影響が垣間見られる、典雅で多元的な意匠の建築をいくつか手がけている。「香川県文化会館」以来ずっと研ぎ澄ませ続ける「混在併存」とも言われる大江の建築観が、ついにその最終形態を呈さんとする頃である。

 「苦楽園の家」にも、これらの作品に通ずる意匠的特徴がみられる。

 例えば、方形屋根。これは大江が好んで使うものであるが、ここでは、反りのある桟瓦葺きの屋根を、緩やかなアーチを持つ窓のうがたれた異国情緒を醸す白い壁が支えている。

 アーチ窓をもつ洋館の西側には、日本庭園との調和が意識された正当な書院造に範を取った日本間が付属して配されている。この趣の異なる二つの棟には、ともに桟瓦の日本風の屋根が架け連ねられることで、和洋を混在させつつも全体としては広大な歴史ある庭園のなかに心地よい気品を携えて佇む「混在併存」の意匠が実現されている。この和洋の建築が一体となっている構成は、この2年前に手掛けられた「茨城県公館」にも見られるものであった。

 そして、なんといっても特徴的なのは、洋館の軒先に立ち並ぶ細身のプレキャストコンクリート丸柱であろう。大江は、軒先の丸柱を好んでよく用いた。その端緒は、1955年に手掛けられた「法政大学」ににもみられた。しかし、このときはまだ太く力強い。「茨城県公館」「角館伝承館」「石上神宮」などには、いずれもか細く平滑なプレキャストコンクリート丸柱が用いられている。当然ながら、これらは建築の主要構造部としては機能していない。「法政大学」の太いSRC造の丸柱も力は負担していなかった。このアイデアは、晩年の代表作「国立能楽堂」にも受け継がれている。

 洋館側の全景

 和館側から望む

和館側の正面

庭園から建築を望む

ここはかつて大坂城の採石場だった

南端の門付近。ここから石段を上がりきった先に建築がある